「序・ほとんど未定の旅行の予定」

 実はヨーロッパに行くつもりだったのだ。何故かと言うと父のイギリス勤務が今年限りかも知れないとの極秘情報を握っていたためである。親マネーでヨーロッパ豪遊の旅、最後のチャンスかもしれない。しかし、一緒に行こうと思っていた友人の、

「奨学金が当たらないとお金がナイ」


という、情けない発言により予定変更を余儀なくされた。他に誘って一緒に旅行に行ってくれそうな人は貧乏くさいのでアジア旅行にしておいた方が良いだろう、そんな適当な理由である。

 そして白羽の矢は M2 の後輩クンの頭にぷすっと刺さった。コヤツは少し前にも他の M2 くんと一緒にタイからシンガポールまでの貧乏旅行を経験しており心強い。問題があるとすれば僕の方。貧乏に耐えられますか?そういう問題である。育ちが良いのだ。

「なんで突然貧乏旅行したくなったんですか?」


との後輩クんの問いに、いやぁ、いっつも良いホテルとか泊まってばかりだし、旅行のスタイルで視点も変わるかも知れないじゃない。一回くらいはやってみたくてさ、と答えた。すると後輩クン。

「現場の苦労を知るためにコッソリ従業員に紛れ込んで働く若社長みたいな発想がムカツキます。」


等とぬかしやがる。そこまでは言ってないじゃないかよぉ。

 それはそれとして何処へ行くかを考えなければならない。後輩クンは危険な所へ行きたいようだ。あとで自慢したいのだろう。俗物的発想。しかし、ソレは確かに僕の中にもある。

「ならばカンボジアはどうだい?」


アンコールワットを見てみたかったから。それにきっとまだまだ、おっ、かんぼじあ!!そんな反応が期待できる。

「実はコモド・ドラゴンも見たいのですが」


おずおずと切り出す僕。カンボジアとインドネシアは遠い。しかし、むしろ遺跡よりも動物くんの方に僕は興味がある。

「いいですねー、行きましょう」


あっさり答える後輩くん。じゃーカンボジアのついでにベトナムもってなことを言ってる間に、結局ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、インドネシアをなるべく陸路を使って3週間で移動しようなどという無茶な計画が浮上したのだ。日々移動。

 さて、後輩クンが見付けてきた航空券は次のようなものであった。成田 - クアラルンプール (KL) の往復プラス、マレーシア航空が飛んでる東南アジアの空港と KL 間 2 フライト付き。故に、最初 KL からハノイに飛んでホーチミンへは鉄道で、ホーチミンからプノンペン、プノンペンからシェムリアップ、シェムリアップからバンコクを飛行機で飛びまくってバンコクからペナンまで陸路移動。ペナンからメダン@スマトラ島まではフェーリーで。メダンからバスでジャカルタへ、更に鉄道でスラバヤまでジャワ島を横断し、そこから更にバリまでバスで行って残った日程をビーチでゆっくり。最後にデンパサールから KL まで飛んで帰国。そんな予定をたてていた。3週間では日程がキツイのでコモド・ドラゴンは涙を飲んであきらめたのである。空路移動が多いのはカンボジアの陸路での出入国が外務省に禁止されているからである。また、カンボジア国内もまだまだ陸路での移動はヤバイといった記述がちきうのアルキメデスみたいな名前の本に書かれていたためでもある。

 しかし、コモド・ドラゴンをあきらめてもまだ日程はきつい。スマトラ島あたりで時間切れになったらえらいことである。そんなわけで、この予定をひっくりかえして KL からまずバリのデンパサールへ飛んで最後にベトナムのホーチミン・シティから KL へ戻ることに。これではバリに一泊くらいしか出来ないため何のためにインドネシアへいくのかも良く分からないが(当初の理由はコモド・ドラゴンね)とにかくそんな計画。

 さらに、途中の航空券も日本で入手すると高いという理由で現地購入にした。バンコクにたどり着いたらまず航空券を買うのだ。結局、日本では成田 - KL 往復に KL-デンパサール、ホーチミン-KL の 2 フライトの付いた航空券と保険、ベトナムとカンボジアの VISA を入手して約 \120000 の出費。後で知ったのだが実はずっと安くすることができたのだ。

 この予定でシミュレーションしてみたところ、カンボジアに入国するかしないかの辺りで日程がいっぱいいっぱいになることになってしまったが、気にしないことにした。なんとかなるものなのだ、大体。


モドル         次へ


このページに関する質問は tatary@astro1.sci.hokudai.ac.jp まで