「亀よ」

 よく、冷たい人間だと言われる。おそらく何らかの根拠があるのだろう。科学者たるもの、根拠なくして断言などしてはならないのである。しかし、その冷たさは人間に対してのみ発揮される。そう、犬や猫に対してはいたってやさしいのである。

 残暑の厳しい秋の日のことであった。その時まだ中学生だった僕は、暑さのあまりグロッキーになっている亀を発見した。助けねばなるまい。動物好きを自認する僕にとって見過ごせない状況である。例え爬虫類であろうと見過ごすわけにはいかない。助けねばなるまい。亀のつぶらな瞳を覗き込みその思いを強くした。水だ。彼には水が必要なのだ。そして僕の横にはシーズンを終え、妖しい色に濁り始めたプールがあった。たいていの場合、プールは地面よりも一段高くなっている。そしてその周りはフェンスで囲まれている。ここから、亀を放り投げてプールまで届かせなければいけない。もし、僕の力が足りず、プールサイドに落下した場合おそらく彼の命運は尽きるであろう。自慢じゃないが肩には自信がない。その時突然、「亀は万年」と言うフレーズが頭の中に浮かんだ。なるほど・・彼はまだ1000年も生きているようには見えない。つまり、9000年の重みが僕の右肩にはかかっているのである。9000年である。中国もびっくりあるよ。
嗚呼・神よ何故私に・・・
何はともあれ僕は亀を放り投げた。亀が回転しつつ宙を飛ぶ姿はなかなかシュールだ。そして見事着水。めでたい。肩から9000年の重みをおろし、ほっと一息ついた。

 しばらくフェンスに上り水面を見つめ、「亀雄」くんが顔を出すのを待つ。僕の中では彼はすでに亀雄くんだ。動物好きなのだ。アフターケアも抜かりがない。亀雄くんも爬虫類である以上、水中で呼吸することは出来まい。待つこと十分・・何も現れなかった。もう授業が始まってしまう。後ろ髪を引かれ疑惑を胸に抱きつつ、しかし、「亀は異常に長く水中にいられるのだ」というなんとも都合の良い解釈をひっさげて教室に戻った。しかし、自説のあまりの説得力の無さに思わず隣の席の「山田くん(仮名)」に尋ねた。

「亀は水中でどれほど生きていられるものであろうか?」
「ウミガメの話?」
「いや、陸がめの話だ。つまり tortoise だな。turtle とは厳密に区別せねばなるまい。」
「それならそもそも泳げないぞ。だから、滑らかに地上とつながっているところでなければ彼らは呼吸できずに死んでしまうのだ。例えば川や池は歩いて陸に上がってこれるだろう?プールは壁が垂直だから登ってこれない。つまり、プールでは亀は死んでしまうということだな。」
どきどき どきどき どきどき どきどき
 

やまだぁ〜 おまえ何か見たんかぁぁぁ?

と危うく叫びそうになった。タイムリーである。何故ここでプールの話が出るのだ?しかし、山田くんはいたって朴訥(ぼくとつ)な人間である。僕の動揺を楽しんでいる節はない。むしろ心配気に、どうした?などと聞いてきた。

「なぁんでもないさぁ はっはっはー♪」

今や巨大に膨れ上がった不安と罪悪感を胸に、それでも亀雄が自力でこの状況を打開することを祈りながら僕は亀雄に関する記憶を封印した。

 そして春。快晴の気持ちの良い日のことである。僕は部活の仲間達と体をほぐすためにジョギングをしていた。すると、すみっこに水泳部の一団がいるではないか。ときおり、「くっさぁ〜」などと言う声も聞こえてくる。「そんなところで何を騒いでおるのだ?」われわれ剣道部は歩み寄った。こんもりと土が盛り上がっている。そこに板が刺さっている。その板には「かめのおはか」と書かれていた。
 

かめよぉぉぉぉ


モドル

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