屈辱的

 今年の正月は珍しく帰省をしていた。研究室以外の場所で年を越すのはおそらく3年ぶりくらいになるだろうか。長らく海外赴任していた父も夏前から日本勤務となり、姉も帰省しており、姉の結婚式以来初めて家族全員が揃うこととなった。まあ、それはどうでも良い。

 博士論文やら研究会やらですっかり疲れていた私はゴロゴロすることによりその疲れが一気に噴出してきたのか、いつもよりもちょっとひどい肩こりに悩まされていた。そこで、妊婦であるところの姉に冗談で「日頃の恨みを込めてちょいと背中を踏んでみないかい?」と尋ねたのだ。ところが、意外にもあっさり「ええよ、踏んだるわ。」との返事。どうやら姉夫婦行き付けの整体は踏んで踏んで踏みまくる方式の治療法を採っており、喘息アトピー持ちという、虚弱な私が妙にシンパシーを感じてしまいそうな義兄は背中が張ると喘息が酷くなるらしく、結果、姉は毎日のように義兄をその足の下でグリグリやっており、人間を踏んづけることに関しては全く抵抗がないということになっているらしい。

 そういうことならばと、お言葉に甘えて背中を踏んでもらうことになった。

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気持ちいい。姉はというと、「ここら辺が凝ってるね。」等となかなかに的確なことを言いながらグリグリグリグリと背中を踏みまくっていた。なるほど、日々の修練が姉の踏みっぷりをここまで鍛え上げたか。ありがとう、虚弱なお義兄さん。

 さて、いい加減背中もほぐれてきた頃、姉の「で、他にはどこが凝ってんねん?」との質問に、「うーん、1番酷いのは首だけど、首は踏みようがないし手で揉むと疲れるだろうからいいよ。」と返事をすると、あっさりと「踏めるよ。」と言い返されてしまった。しかし、このまま首に乗られてしまったらそのまま下半身不随だ。それは勘弁願いたい。

 その旨伝えると、「あー、心配せんでもええよ。そこに正座して。」とのたまうではないか。「正座?こうかな。」と剣道で鍛え上げた見事なまでの正座っぷりを披露した。

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「そうそう。で、そのまま上体を倒して。」と姉が続けた。ええい、注文が多い、と思いながらも素直にパッタリと上体を倒して「こうかな?」と尋ねた。イヤな予感がしていた。

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 これではまるで土下座衛門だね、と言った私の言葉を聞いていたのかいなかったのか姉は突然その足で私の首をゲシゲシと踏みつけだした。「こ、これは…」と言葉を失った私に姉が「痛いんか?」と声をかけた。声を振り絞るようにして私は続けた。「痛いとかそーいうんじゃなくって…あまりにも屈辱的だ…。」それは第3者的視線で見れば次のような図であったろう。

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 その後、ゲシゲシ、「痛い〜」、ゲシゲシ、「でも気持ちイイ〜」、ゲシゲシ、「だけど屈辱的だぁ〜」という無限ループに陥った我々姉弟を、隣の部屋から両親が心持ち冷たい視線で暖かく見守っていたことは言うまでもない。

 問題は、これが如何に首の凝りに効果があるかを実感したにもかかわらず、あまりに屈辱的なために、例え空前絶後の凝りに首が襲われたとしても友人その他には土下座しながら「踏んでくれ」とは言い難いところである。

モドル