「毛変わり」

 やっと毛変わりの時期が終わったのだ。僕の場合3−4月、9−10月がこれに当たり、ものすごく髪の毛が抜けてそりゃーもう大変なことになるのである。何が大変かというと禿げるとかそういったことでは決して無い。何故ならそれは毛変わりだからだ。相も変らず僕の頭髪は人一倍のボリュームを見せている。大変なのは部屋の掃除や排水溝の掃除である。毎日大量の毛が抜けるのだから油断するとあっという間に詰まってしまう。そんな訳で5月現在僕の頭に生えている物は夏毛と呼ぶべき物である。

 毛変わりで一つ思い出す事がある。父方も母方も祖父母が北海道に住んでいるため小学低学年の頃は正月を北海道で過す事が多かった。すると、どうであろう、彼らの頭髪は真っ白なのである。僕は動物が好きだった。動物くんに関する本も色々読んでいた。図鑑なんて一週間に2,3度は眺めていたのではないだろうか。 故に僕は思ったのだ。ふふ、知ってるよ、それ冬毛でしょ。保護色って言うんだよね。外は一面の雪景色である。エゾナキウサギやなんかと混同しているのだ。ちなみに大学生になって札幌に来るまで、キタキツネも冬毛は真っ白なのだと思っていた。好きな割には無知である。 だから、札幌に住んでいながら白い冬毛が生えてこない自分の頭にも若干の違和感を抱いている。

 毛変わりのことでもう一つ思い出す事がある。毛変わりというからには抜けた後、新しい毛が生えてこなければならないのだ。もし、抜けても生えてこないとどうなるのか?明確である。ツルピカである。ネオナチズムと関係なくても、家がお寺でなくてもツルピカになるのだ。本人の主義主張とは無関係に、『抜けて生えなければ禿げる』のである。 この真理に気付いたのは僕がまだ幼稚園に通っていた頃であった。場所はやはり祖父母宅であった。 祖父の頭をしげしげと眺める僕の頭に天啓のようにこの考えが閃いたのである。そして彼にこう言った。

「僕の髪の毛は抜けてもまた生えて来るからそのままなんだね。おじいちゃんの髪はきっと、抜けてももう生えてこないからどんどん減っていくんだね。髪に元気が無いんだよ。」

今となっては想像するしかないが、おそらく、その時僕は誉めて欲しかったのだ。よくわかったね・・と。しかし、起こった現象は幼い僕の想像を完全に裏切る物であった。その場にいた全員が凍り付いたのだ。フリーズである。一人、僕だけがニッコリ。

 後に、立派に成長した僕に母がこう言った。

「おじいちゃんあの後ね、何度も聞くのよ。俺の髪はそんなに薄いか?って」

 ゴメンヨ。


モドル

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